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第三十五願 [教学]

『無量寿経』四十八願のうち第三十五願。俗に女人往生の願といわれる。

※このエントリーは書きかけです



■『無量寿経』
(本文)
設我得仏 十方無量不可思議諸仏世界 其有女人
聞我名字 歓喜信楽 発菩提心 厭悪女身
寿終之後 復為女像者 不取正覚

(書き下し)
もし我仏を得たらんに 十方無量不可思議諸仏世界に 其れ女人ありて わが名字を聞きて 歓喜し信楽して 菩提心をおこして 女身を厭悪せん。 寿終りて後 また女像とならば 正覚をとらじ。

(梵文和訳)(岩波文庫『浄土三部経・上』より)
世尊よ。わたくしが覚りを得た後に、あまねく無量・無数・不可思議・無比・無限量の諸仏国土にいる女人たちがわたくしの名を聞いて、きよく澄んだ心を生じ、覚りに向かう心をおこし、女人の身を厭うたとして、(その女人たちが)(この世での)生を脱してからふたたび女人の身をうけるようなことがあったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。


善導の三十五願解釈

■『観念法門』

また下の願にのたまふがごとし。
「たとひわれ仏を得えたらんに、 十方世界に、 それ女人ありて、 わが名字を聞きて、 歓喜信楽し、 菩提心を発して、 女身を厭悪せん。 命終の後に、 また女身とならば、 正覚を取とらじ」 と。
義にいはく、
すなはち弥陀の本願力によるがゆゑに、 女人、 仏の名号を称すれば、
まさしく命終の時すなはち女身を転てんじて男子となることを得。
弥陀手を接し、 菩薩身を扶けて宝華の上に坐せしむ。
仏に随がひて往生し、 仏の大会に入りて無生を証悟す。
また一切の女人もし弥陀の名願力によらずは、
千劫・万劫・恒河沙等の劫にも、 つひに女身を転ずることを得べからず、 知るべし。
いまあるいは道俗ありて、 女人浄土に生ずることを得ずといはば、 これはこれ妄説なり、 信ずべからず。
またこの経をもつて証す。 またこれ摂生増上縁なり。


 


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