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たいちのこと [日記]

昨晩相棒であり、同居人である猫の太市が亡くなりました

 
太市は捨て猫でした。
3年前のとある法事の時捨て猫が居て困っている、という檀家さんの話から拾いました。
本当に小さくて両の手で受けられるほど。
すごく衰弱していて右足の骨が折れていました。
本坊に帰ってきて、同じく法事から帰ってきた先輩がこの子はオスだというので、先輩の法事先の太市さんの名前をとって太市と名付けました。
つぶらな目で本当にかわいい子猫でした。
注射器でミルクをやり、体を暖かい濡れタオルで拭いて、体力の回復を待ちました。
びっこを引いた足のことが気になって、3日ほど後に獣医さんに連れて行きました。
1週間の入院を経て、退院。右腿はバリカンで刈り込まれていました。
一度里子に出ましたが、出戻ってきて、それからは毎日一緒に過ごしました。
私が法務で出かけているときは、昼寝をしていたり、境内を散策したりしながら、私の声が聞こえると駆け寄ってきて甘えてくれました。
本当に幼い時から育てたので、私を親のようになついてくれて、大きくなってからも私のわきを噛んで、前足でおしおしするのが大好きでした。
すごく食いしん坊で、とくに方丈さんの買ってきた猫のお菓子には目が無くて、持ってる手を両前足で抱え込んで食べる様子がえも言われずかわいい物でした。
母や方丈さん、そしておばさんたちにも愛されて幸せな生活だったと思います。
 
拾った時がちょうど私も破局のあとで、心の隙間を埋めて有り余る息子でした。
愛らしく、そしてやんちゃで、いつもそばにいてくれた太市。
 
夕べ車に轢かれ、かわいい顔は無残な姿になりました。
血まみれのアスファルトから抱き上げたとき、出るはずのない太市の声が聞こえた気がしました。
それは遅い私の帰りをなじる声だったのか、お帰りという声だったのか、私にはわかりません。 
 
それでも私は抱きかかえ、精いっぱいの謝罪と感謝の言葉を紡ぎました。 
痛かっただろうね、ごめんね。 
帰りが遅くなってごめん、家に閉じ込めておけばこんなことにはならなかったのにね
母に預けていれば、えとせとら
そして私のそばに毎日いてくれてありがとう。
 
太市と過ごした3年間は本当に幸せな3年間でした 。
もう2度と会えないけど、生まれ変わってどこかで巡り合えたらと私は願っています。
 
可愛い太市の写真は残します。
そして最後の無残な姿も心に刻みつけて一生忘れません。
 
どうか太市、極楽で、いつかあとから行く私に声をかけてくださいね。 

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